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AI生成は創作じゃない?~昨今のAIについてぼくが思う事~

  • 執筆者の写真: Oshin
    Oshin
  • 5月5日
  • 読了時間: 12分

AI生成は創作じゃないのか?

AIとDTMと、これからの創作について思うこと


最近、AIで音楽や画像、イラストなどを作ることに対して、否定的な意見をよく見るようになりました。


「AI生成は創作じゃない」

「生成物は誰の作品でもない」

「プロンプトを書くだけなら、実際に創作する人の方が凄い」


そういう意見です。


正直、その気持ちがまったく分からないわけではありません。


実際に絵を描ける人。

楽器を演奏できる人。

ゼロからメロディを作れる人。

何年もかけて技術を積み重ねてきた人。


そういう人たちは本当に凄いです。


僕自身も音楽をやっている人間なので、そこへのリスペクトは絶対に忘れたくありません。


楽器を鳴らせる人は凄い。

絵を描ける人は凄い。

自分の手で何かを形にできる人は凄い。


それは間違いないと思っています。


ただ、それでも僕は、


「AIを使ったものは創作じゃない」


と一括りにしてしまうのは、少し乱暴だと思っています。


なぜなら、AIが出したものをただそのまま使うだけの場合と、

人間が意図を持って、構成し、選び、修正し、作品として仕上げる場合では、

まったく意味が違うからです。


例えば、AIにただ一言、


「かっこいい曲を作って」

「おしゃれな画像を作って」


とだけ入れて、出てきたものをそのまま出す。


それなら、創作性が薄いと言われても仕方ない部分はあると思います。


でも、実際の制作ってそんな単純な話ではありません。


音楽なら、まずテーマを決める。

何を歌うのか。

誰に届けるのか。

どんな温度の曲にするのか。


歌詞を書く。

構成を考える。

Verse、Hook、Bridgeの流れを作る。

BPMやキーを考える。

ジャンルを決める。

声の高さや歌い方を調整する。

アレンジの方向性を決める。

何度も生成して、良いものを選ぶ。

違うと思ったら直す。

歌詞を変える。

構成を変える。

Logic Pro、Cubase、Studio One、Ableton Live、FL Studio、Pro ToolsなどのDAWで編集する。

ミックスを考える。

ジャケットを作る。

MVや告知文まで含めて、作品の世界観を整える。


画像やイラストでも同じです。


どんな世界観にしたいのか。

どんな色味にしたいのか。

どんな構図が合うのか。

誰に見せたいのか。

どこを残して、どこを削るのか。

出てきたものをどう選び、どう磨き、どう使うのか。


そこには人間の判断があります。

感性があります。

責任があります。


だから僕は、AIそのものが作者だとは思っていません。


でも、AIを道具として使い、最終的に作品へ仕上げている人間には、

十分に創作性があると思っています。


大事なのは、AIを使ったかどうかではなく、


そこに人間の意図があるか。

選択があるか。

編集があるか。

責任があるか。


だと思います。


ここでよく出てくる話として、

MIDI打ち込みとAI生成を同じように語っていいのか、という問題があります。


「MIDIで打ち込んでいる人も、生楽器を鳴らしているわけじゃない」

「それならAIを否定するのはおかしくないか」


という意見もあります。


この意見にも、分かる部分はあります。


音楽制作は、昔からいろいろな道具の上に成り立っています。


DAW。

MIDI。

シンセサイザー。

ドラム音源。

サンプラー。

アンプシミュレーター。

Auto-Tune。

ループ素材。

プラグイン。


今の音楽制作で、完全に自分一人の身体能力だけで完結しているものなんて、ほとんどないと思います。


誰かが作った楽器。

誰かが作ったソフト。

誰かが作った音源。

誰かが作った技術。


僕たちは、そういうものの上に乗って音楽を作っています。


だから「他人の技術に乗っている」という意味では、

MIDIもDAWもAIも、まったく無関係ではありません。


ただし、MIDIと生成AIを完全に同じものとして語るのも、やっぱり違うと思います。


MIDIは基本的に、人間が音符、タイミング、長さ、強弱、音色などをかなり細かく指定します。


どの音を鳴らすのか。

どの長さで鳴らすのか。

どのタイミングで入れるのか。

どれくらいの強さで鳴らすのか。


それを人間がかなり直接的に決めています。


そして、基本的には再現性があります。


同じMIDIデータを同じ環境で鳴らせば、かなり近い結果が返ってくる。


つまりMIDIは、生演奏ではないとしても、

作曲、編曲、打ち込み、音色選び、ニュアンス作りの技術がかなり直接的に入る道具です。


一方で生成AIは、プロンプトを入れても毎回まったく同じ結果が返ってくるとは限りません。


出力の細部まで、人間が完全にコントロールしているわけでもありません。


その意味で、MIDIとAIは同じではありません。


MIDIの方が、人間による直接的な制御と再現性が強い。

AIの方が、偶発性やブラックボックス性が高い。


これはちゃんと分けて考えるべきだと思います。


だから、


「MIDIもAIも同じ道具だから、全部同じ」


と言い切るのは雑だと思います。


でも同時に、


「MIDIは創作だけど、AIを使ったものは全部創作じゃない」


と切り捨てるのも、やっぱり雑だと思います。


結局、大事なのは道具の名前ではなく、

その道具を使って、どこまで人間が作品に関わっているかです。


AIに丸投げして終わりなのか。

それとも、AIを素材やアイデアの一部として使いながら、

人間が方向性を決め、選び、直し、組み立て、作品として責任を持っているのか。


ここには大きな差があります。


僕は、AIに命令するだけの行為を、そのまま作曲だとは思いません。


「良い感じの曲を作って」

「売れそうなジャケットを作って」


それだけで出てきたものを、自分の作品だと強く言い切るのは、

少し危ういと思います。


でも、AIを使っていても、

そこに自分のテーマがあり、

歌詞があり、

構成があり、

選択があり、

修正があり、

最終的な責任があるなら、

それは創作の一部として見ていいと思っています。


たとえば僕の場合、音楽を作る時に一番大事にしているのは、

結局「何を届けたいか」です。


かっこいい音が鳴っているかだけではなく、

その曲にどんな意味があるのか。

誰の背中を押したいのか。

どんな感情を残したいのか。

どんな景色を見せたいのか。


そこがないと、どれだけ音が綺麗でも、僕にとっては作品になりきらない。


AIを使うかどうか以前に、

自分の中に届けたいものがあるかどうか。


そこが大事だと思っています。


もちろん、AIを使えば誰でも簡単にそれっぽいものが作れる時代になりました。


だからこそ、表面的なものも増えると思います。

雑に作られたものも増えると思います。

人の作品に寄せすぎたものも出てくると思います。


そこには問題もあります。


AIを使う側は、そこに無自覚でいてはいけないと思います。


誰かの技術や表現の上に乗っている部分がある。

学習データの問題もある。

権利や倫理の問題もある。

受け取る人がどう感じるかという問題もある。


そういうことを全部無視して、

「便利だからいいじゃん」

で済ませるのは違うと思います。


でも、それと同じくらい、


「AIだから創作じゃない」

「AIを使っている時点で価値がない」


と決めつけるのも違うと思っています。


新しい道具が出てくるたびに、こういう話は起きてきたはずです。


これは、僕自身も実際に経験したことがあります。


相方のFixerと音楽をやり始めた頃の話です。

今から15年くらい前だったと思います。


当時、いわゆるオヤジバンドをやっている方々と話す機会がありました。


その時に、


「おっ!オリジナルなの?楽器は何やってんの?」


と聞かれました。


僕は普通に、


「DTMで曲を作っています」


と答えました。


すると、


「それはダメだよぉ〜」

「良くないな」

「楽器やってないとオリジナルとは言えないな」


というようなことを、本当に言われ嘲笑われました。


今でも、その時の悔しさは覚えています。


自分たちは本気で曲を作っていたし、

言葉もメロディも構成も、自分たちなりに考えていた。


それなのに、

「楽器を弾いていない」

「DTMで作っている」

というだけで、創作として認めてもらえなかった。


あの時は、本当に悔しかったです。


でも今考えると、

その時にDTMへ向けられていた目線と、

今AIへ向けられている目線は、

少し似ている部分がある気がします。


もちろん、DTMとAIは同じものではありません。

MIDIと生成AIも、さっき書いたように同じではありません。


でも、


「自分が慣れ親しんだ作り方ではないから認めない」

「手を動かしているように見えないから創作ではない」

「昔ながらの方法じゃないから本物じゃない」


そういう空気は、どこか似ていると思うんです。


当時はDTMがそう見られていた。

今はAIがそう見られている。


でも、DTMで作られた音楽は今では当たり前に世の中に溢れています。


Logic Pro、Cubase、Studio One、Ableton Live、FL Studio、Pro Toolsなど、

いろいろなDAWで音楽を作ることも、今では特別なことではなくなりました。


打ち込みも、サンプラーも、シンセも、プラグインも、

今の音楽制作には欠かせないものになっています。


だからこそ僕は、

新しい道具が出てきた時に、

すぐに「それは創作じゃない」と決めつけることには慎重でいたいです。


自分が昔、同じような言葉で悔しい思いをしたからこそ、

なおさらそう思います。


シンセサイザーが出た時。

サンプラーが出た時。

DAWが普及した時。

ボーカル補正が当たり前になった時。

スマホだけで映像や音楽が作れるようになった時。


そのたびに、

「これは本物じゃない」

「これはズルい」

「これは音楽じゃない」

と言われてきた部分があると思います。


でも結局、時代が進むと、

その道具を使って本気で表現する人が出てくる。


そして、その中からちゃんと人の心に残る作品も生まれてくる。


僕はAIも、そういう道具の一つになっていくと思っています。


もちろん、AIを使ったものが全部素晴らしいとは思いません。

AIを使っているから新しい、とも思いません。


むしろ、AIを使うならなおさら、

作る側の意思が問われると思っています。


なぜそれを作るのか。

なぜその言葉なのか。

なぜその音なのか。

なぜその絵なのか。

誰に向けているのか。

何を残したいのか。


そこを持っていないと、

AIを使った作品はすぐに薄くなると思います。


逆に言えば、そこがあるなら、

AIを使っていても、人間の表現として成立する可能性は十分にある。


僕はそう考えています。


手で描く人は凄い。

楽器を弾く人は凄い。

自分の身体で表現できる人は凄い。


それは間違いありません。


でも、AIを使って何かを作ろうとしている人の中にも、

本気で悩んで、選んで、直して、届けようとしている人がいます。


自分だけでは形にできなかったものを、

AIという道具を使って、どうにか形にしようとしている人がいます。


そういう人たちの表現まで、

「AIだから創作じゃない」

の一言で終わらせてしまうのは、少し寂しいなと思います。


創作って、結局は手段だけで決まるものではないと思います。


手で描いたから必ず良い作品になるわけではない。

生楽器を弾いたから必ず心に届くわけではない。

AIを使ったから必ず薄い作品になるわけでもない。


もちろん、技術の深さは大事です。

積み重ねてきた時間も大事です。

手を動かしてきた人への敬意も大事です。


でも、それと同じくらい、

何を考え、何を選び、何を届けようとしたのかも大事です。


僕は、創作を「道具」で分けすぎたくありません。


ギターを持っていても、何も伝わらない曲はある。

AIを使っていても、誰かの心に届くものはある。


大切なのは、

そこに人間の意思があるかどうか。


そして、

その作品に責任を持てるかどうか。


AIは作者ではない。

でも、AIを使う人間は作者になり得る。


ただし、それはボタンを押しただけで成立するものではなく、

そこに意図、選択、編集、責任がどれだけ入っているかで変わる。


僕はそう思っています。


だから、AIを使う側も胸を張るなら、

ちゃんと向き合うべきだと思います。


ただ生成するだけではなく、

自分の意思を入れる。

選ぶ。

直す。

疑う。

磨く。

届ける。


そこまでやって初めて、

AIを使った創作と呼べるのだと思います。


そして、AIを使わない人も、

AIを使う人をすぐに雑に切り捨てるのではなく、

その人が何を作ろうとしているのか、

どこまで関わっているのか、

何を届けようとしているのかを見てほしいなと思います。


創作の形は、これからも変わっていくと思います。


でも、どれだけ道具が変わっても、

最後に問われるのは人間の意思だと思います。


AIを使うこと自体が悪いのではなく、

AIに全部を丸投げして、自分の意思がないことが問題。


逆に言えば、

AIを使っていても、そこに人間の意思があるなら、

それは十分に創作と呼べる可能性がある。


僕はそう考えています。


AIか、人間か。


そんな単純な二択ではなく、


AIを使って、人間が何を表現するのか。


これからは、そこが問われていく時代なんだと思います。


少し話は逸れるけど、

音楽って、最終的には理屈だけじゃないと思っています。


どれだけ正しくても、

どれだけ技術的に凄くても、

そこに温度がなければ、なかなか人の心までは届かない。


逆に、不器用でも、荒削りでも、

そこに本気の気持ちが乗っていたら、

不思議と誰かに届く瞬間がある。


だから僕は、AIを使うかどうかよりも、

その人が何を届けようとしているのかを見たいです。


どんな道具を使っても、

最後に残るのは、たぶん人間の温度です。


そして、この「温度」というものは、

今の僕にとってもすごく大きなテーマです。


今年作っている曲たちには、

この「温度」や「情熱」というものが、

かなり深く絡んできています。


VoOlOの曲にも。

ALBA/TOROSの曲にも。

僕自身のソロ曲にも。


それぞれ形は違うけど、

ただ音が鳴っているだけじゃなくて、

そこにどんな熱があるのか。

どんな想いが残っているのか。

どんな温度で人に届くのか。


そこをすごく大事にしながら作っています。


だから、これから僕が届けていく曲を聴く時には、

そういう部分にも少しだけ注目してもらえたら嬉しいです。


歌詞でも、メロディでも、声でも、音の隙間でも、

どこかに人間の温度を残したい。


たとえAIを使ったとしても。

MIDIを使ったとしても。

DAWを使ったとしても。

ギターを使ったとしても。

ペンを使ったとしても。

自分の声を使ったとしても。


大事なのは、

何を使ったかより、

何を届けたかったのか。


そして、それを受け取った誰かの心が、

ほんの少しでも動いたのなら。


僕はそれを、

創作と呼んでもいいんじゃないかと思っています。


以上。

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