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強い言葉ほど、辿り着き方が大事だと思う ~僕なりの歌詞、作詞観~

  • 執筆者の写真: Oshin
    Oshin
  • 5月27日
  • 読了時間: 6分

歌詞って何を書けばいいんだろう?


かっこいい言葉を探しても

綺麗な言葉を並べても

どこか自分の言葉じゃない気がする時がある


「夢」と書けば薄く感じる

「愛」と書けば照れくさい

「希望」と書けば綺麗事みたいに聞こえる


でもそれでも書きたい感情がある


作詞をしていると

そんなふうに悩むことがあると思う


僕自身も

今まで何度も悩んできた


今回は

そんなことに悩みながらも

これまで約20年

歌詞を書いてきた僕なりの歌詞観を

このブログに書いてみようと思う



とは言っても

これが正解ですとか

作詞とはこうあるべきですとか

そんな大それたことを言うつもりはない


これはあくまでも

僕自身の歌詞観 作詞観です


作詞には人それぞれのやり方がある


綺麗な言葉を並べる歌詞もあれば

勢いだけで突き抜ける歌詞もある


意味よりも音の気持ちよさを優先する歌詞もあるし

日記みたいに生々しい言葉が胸に刺さる歌詞もある


どれが正しいとかではなく

その人が何を大事にしているかだと思う


その上で

僕が歌詞を書く時に大切にしていることがある


それは

その人の生活と

その人の考え方

その人なりの哲学を

一つでもいいから歌詞の中に残すこと


歌詞って

特別な言葉からだけ

生まれるものじゃないと思っている


帰り道のコンビニ。

駅のホーム。

飲みかけの缶コーヒー。

返せなかったLINE。

グラスの氷。

暗い部屋の時計の針。

笑ってごまかした夜。

誰にも言えなかった一言。


そういう

普段なら見逃してしまうような生活の中に

その人にしか書けない言葉が眠っている気がする


「悲しい」と書くことが悪いわけじゃない

「寂しい」と書くことが悪いわけでもない


でも

なぜ悲しかったのか

何を見た時に寂しくなったのか


どんな匂いが

どんな景色が

どんな記憶が

その感情を連れてきたのか


そこまで辿っていくと

言葉だけじゃなく

作品そのものに奥行きが出る


ただの「悲しい歌」ではなくなる


その人がどこで傷ついて

何を抱えたまま今日まで来たのか


その輪郭が少しずつ見えてくる


だから聴く人も

ただメロディを聴くだけじゃなく

その作品の中にある景色や温度を

感じられるようになるんだと思う


僕は

歌詞は作品の入口でもあり

作品の奥にある部屋の鍵でもあると思っている


よく

「夢」「希望」「未来」「愛」みたいな言葉は

使い古されている

みたいに言われることがある


確かにそれらは強い言葉だと思う


大きい言葉だし

漠然としやすい言葉でもある


でも僕は

そういう言葉を使ったらダメだとは思っていない


むしろ

強い言葉だからこそ

どうやってそこに辿り着くかが大事なんだと思う


「愛してる」と言うのは簡単だけど

その愛がどこから来たのかが見えないと

少し宙に浮いてしまうことがある


喧嘩した帰り道

まだ腹は立っているのに

コンビニで相手の好きな飲み物を手に取ってしまう


もう知らないと思ったはずなのに

寒そうにしていないか?

ちゃんとご飯を食べているか?

ふと気になってしまう


そういう矛盾した日常を通って

最後に「愛」と呼ぶしかなかったのなら

その言葉はもう

ありふれた言葉じゃなくなる


「未来」もそう

「希望」もそう

「夢」もそう


その言葉自体が悪いんじゃない。


その言葉に着地するまでのプロセスが見えないと

どうしても薄く感じてしまうだけなんだと思う


だから僕は

強い言葉ほど

辿り着き方が大事だと思っている


たとえば、夢と書くなら

その夢を見るまでに何を諦めかけたのか


希望と書くなら

どれだけ希望を持てない夜があったのか


未来と書くなら

今どんな場所に立っていて

何を背負っているのか


愛と書くなら

その愛は綺麗なものなのか

悔しさも

執着も

後悔も混ざったものなのか


そこを描くことで

同じ言葉でも

その曲でしか感じられない言葉になる


そしてもう一つ

僕は歌詞の中に

その人の哲学を入れたいと思っている


哲学と言っても

難しい言葉を並べたいわけじゃない


その人が生きてきた中で

何を許せなかったのか

何に救われたのか

何を信じたいのか

何を疑っているのか


どういう時に踏ん張って

どういう時に逃げてもいいと思っているのか


そういう

その人なりの物事の見方


たとえば僕は

ただ「頑張れ」と言うよりも


「逃げてもいい」

「泣いてもいい」

「立ち止まってもいい」


でも


「生きろ」

「踏ん張れ」


という言葉の方が

自分には近いと思っている


それはたぶん

僕自身がそういう言葉に

救われたい人間だからだと思う


そして

人間はそもそも矛盾を抱えた生き物だと思っている


前向きなことを言った次の日に

全部投げ出したくなる夜もある


誰かを大好きだと思った心の中に

大嫌いだと叫びたくなる感情が

同居していることもある


夢を追いたい自分もいる

でも

もう全部やめたい自分もいる


誰かを信じたい自分もいる

でも

誰も信じたくない自分もいる


それは別に

嘘をついているわけじゃない


どちらか片方だけが本心なのではなく

どちらもその瞬間の自分にとっては本当だったりする


だから僕は

この曲でこう歌ったから

別の曲でその反対のことを書いてはいけない

とは思っていない


むしろ

その矛盾こそが人間らしさだと思っている


「大好き」という曲があって

「大嫌い」という曲があってもいい


希望を歌う曲があって

希望なんて見えない夜を歌う曲があってもいい


生きろと叫ぶ曲があって

生きることに疲れた自分をそのまま置いておく曲があってもいい


人はずっと

同じ感情のまま生きているわけじゃない


その日によって

その時期によって

出会った人によって

失ったものによって

見える景色も

信じたいものも変わる


だから

曲ごとに違うことを言っていてもいいと思う


それはブレているんじゃなくて

人間の中にある別々の部屋を

開けているだけなのかもしれない


矛盾を無理に整えすぎると

歌詞は綺麗になるかもしれない


でも

人間らしさ、人の体温は

少し薄くなってしまう気がする


僕は

矛盾を消すために歌詞を書くのではなく

矛盾したままの感情に居場所を作るために

歌詞を書いている


歌詞は

綺麗に見せるためだけのものじゃない


自分の中にある矛盾や

弱さや

情けなさや

怒りや

優しさを

どうにか音楽の中に置いてあげる作業でもあると思う


だから

かっこ悪い感情も書いていい


むしろ

かっこ悪いところにこそ

その人の本当の体温がある


誰かに見せるために整えすぎた言葉より

少し不器用でも

その人の生活や考え方が滲んでいる言葉の方が

僕は信じられる


もちろん歌詞は自由だ


全部を説明しなくてもいいし

あえて曖昧にする美しさもある


意味なんて後からついてくるような

感覚だけで刺さる歌詞もある


でも僕が書きたいのは

その人が生きてきた証拠が

少しでも残る歌詞だ


あの日の帰り道

言えなかった言葉

忘れたくても残っている匂い

どうしても捨てられなかった考え方

誰かに言われた一言

自分だけが知っている痛み


そして

自分の中にある矛盾


そういうものを拾い集めて

最後に「夢」や「希望」や「愛」や「未来」に

辿り着けたら

その言葉はもう

ただの綺麗事じゃなくなる


それはきっと

その人だけの歌になる


作詞って

言葉を飾ることではなく

感情に居場所を作ること。


生活の中にある小さな景色と

その人が生きてきた中で掴んだ哲学


そして

綺麗には割り切れない矛盾


僕はこれからも

そういうものを歌詞の中に

そして作品の中に残していきたい。



以上。

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